昨日、あるところで東大卒の方としゃべった。
九大の医学部が研究されてる話になった。
国立すげーって感じだが、大学の感想を、国立はなんか、私立より、聞いたことのある、京都大学のサル学のような、「ヒトとは何か」とかなんか、基本的な学問が多いなぁと思ったと言った。
妻と会話をする。
なぜか合わない。 必ず最後にはケンカになってしまう。
私がしゃべりを進めようとしたら、妻がキャッチボール、絶対別の球を投げてくる。 それでいつもストップ&トラブル。
私を乗せてくれないのね。
そっか、ストップさせるためだけの違う球返球じゃないか?
今度、ストップさせたら、そこでとことん聞き役にまわってみよう。 それで、ネタがそんなでもなかったら問い詰めればよいか。
ある男性と会話をした。
その男性は50ぐらいの私より年上で、めちゃくちゃ知識を蓄えてるみたいだ。
その男性の話を聞いてあげる。
調子を上げてあげる。
お金の話になった。
株の話になった。
積み立てNISAの話になった。
その場、みんなの調和を取って一生懸命努力して聞き役にまわった。
聞き役にまわってたら、その人、いい気になって話すが、考え方が私と違った。
私も、論理比較的大丈夫だが、情報、無知なのがみなさんの前でひけらかされた気がするなぁ。(驚かされる情報もありました。)
と言って、今から方針転換するのも間違ってるとも思われたし、マイペースで行こうと思いました。
後で考えると、私は比較的、考え方がマクロ的な考え方を話して、他の人はミクロ的な考え方を話して、なんか、視点が違うなぁと思うところがたくさんあるなぁと思いました。
妻と飲みにも行った。
最高だった♪
また飲みに行きたいなぁ~。
前にブログで書きましたが、語彙のある知的的、専門用語や横文字なんかの応用的ものを基本的なものが追い抜いたら景気が良くなるんじゃないかとか思いました。
そりゃ、応用より、基礎的な人の方が、人口ピラミッド的に多いわけですから、基礎的な人を元気にしたり、活躍させる日本にした方が、景気が良くなると思うのですが。
今まで高校受験、大学受験なんかで勉強オンリーな価値観で見られる社会、元気な人が押し黙る日本の残念なロスがまだ多いのじゃないかなと私は思ってました。