お金について


年明けて、お金について、たくさんあればいいってもんじゃないんだろうが、学校で勉強などやらないし、ここから考えよう。

お金(貨幣)の本質、そしてお金が私たちにもたらすメリットとデメリット、今後の経済システムの未来について。

お金の本質

人間とは「分業」と「取引」によって栄えることを選択した種だともいえるという。 そうした種にとって、匿名で価値をやりとりするお金は、最大の発明であった。

一方で、お金は、交換において生じるはずの人間同士のつながりと、財が本来もっており引き継がれるべき物語(歴史)を分断するというネガティブな側面を持っている。

私の場合は、20世紀の人間で、交換において生じる人間同士のつながりがうっとおしく、ジュースの自動販売機が出たころは、めちゃくちゃ楽だった。 しかし、スーパーの安売りのジュースは買えなかったなぁ。 一本25円。

で、他のブログにも書いてるが、バスの支払いもめっちゃうっとおしく、バスカードが出てから楽で、とても助かった。 しかし、ひねくれている私は、そんなになりだしたら、逆に麻雀点数計算を憶えたくなって、頑張って点数計算おぼえたり、子のツモあがりの親と子、何点差埋まるかなんかを暗記したりした。

20世紀のビジネスとは本質的に、貨幣と資本によって無機化する行為であった。  20世紀、ある意味で、そうしたお金のもつネガティブな側面が行き過ぎた時代。

標準化によってプロセスを単純化し、画一化によって商品を匿名化した。 そして、中毒化によって顧客の生命を無機化することである。

しかし、21世紀のビジネスは、「多様化・個別化・肯定化」へと向かっていく。社会的欲求を満たすビジネスが今後も増えていくだろう。

ただし、貨幣と資本を否定して、既存のシステムから離脱し、まったく新しい第三世界を夢想してはいけない。システムや現実と真正面から向き合い、そのリアリティとの葛藤の中でリスクをとり、試行錯誤しながら新しい世界をつくるべきだという。

お金の正体を知る

貨幣の起源は記帳だった?

そもそもお金とはどう定義できるのか。譲渡可能な信用、あるいは外部化された信用と定義する人もいる。 そして、信用を裏付ける者を「信用の母体」と呼ぶ。現在ではそれが国家ということになる。

貨幣は人間にとって最も重要な発明だった

人間とは「分業と取引によって栄え、『違い』と『社会』によって補完しあうことを選択した種」だという。そのような種にとって、自分と違う人を信用し、取引することを可能にした信用取引(お金)という仕組みは、最高の発明だったのである。

お金は互いの個性を発揮し、分業してゆくための最適なメディア(交換媒体)ということになる。

貨幣の価値を決めるのは信用と汎用

お金(通貨)の価値は、使っている人の数×発行している母体の信用、すなわち「汎用」×「信用」と定義できる。それでは信用とは何か。

信用とは、一言で言えば「(理由を)問い詰められないこと」だ。お金の信用に関していえば、「価値があることの理由を説明せずにすむもの」であり、その結果として、お金が人々の間で流通される。信用は価値を積み上げたものとなる。そのため、シンプルにいえば、信用と汎用を高めていくことが重要だといえる。

では、お金の価値を決めるもう一つの要素である「汎用」とは何か。汎用性とは、どれくらいの人が使え、何に使えるのかという「広さ」と、どれくらいの文脈を伝えられるかという「深さ」の二軸のかけ合わせで決まる。

人間のコミュニケーションには、ボディランゲージや言語、お金などさまざまなメディアがある。お金はそのなかでも「汎用性が高く、文脈が浅い」メディアといえる。お金は数字で表せるので、誰でもその価値がわかる。そのかわりに、その背景や文化・文脈を伝えるのが苦手である。
人は数字で表現したとたん、そこに意識が吸着し、固執していく傾向がある。その数字にどれほどの意味があるかを疑うことを忘れてしまうのだ。これが、お金が人の心に作用するトリックである。

私たちは有機的な人間であり、お金は無機的な存在である。そのため、お金と人間とは本来、水と油のような存在である。にもかかわらず、お金の汎用性はどんどん拡大し、何でもお金に置き換えられるようになり、私たちの生活はお金に侵食されている。

これは言えるなぁ。人間、有機的なもの同士のネット付き合い、ニコ生とかしてて、リスナーの登録者数とかそんなので比較評価されて、私は気張らないコミュニケーションが目的なのに、人数、お金みたいな無機的な数字で出てくるから、こちらの配信が50~350台ぐらいだったとしても、それであっちが3万、こっちが1万だとか言って、露骨に比較してくるヤツは嫌だったなぁという実感は湧いたこと。

今後のお金のあり方について、言われているのは、「信用主義経済」の時代が到来すると予言するという。

そこに至るまでには、健康を前提とした時間資源をネットワーク・知識・信用の形成へと振り分けて、「コト(つながり・物語)」を中心とした財を形成し、創造(貢献)へとつなげることだ。

お金を巡る本質的な社会の変化が起きている。信用の母体が国家から個人に移り、階層的な社会からネットワーク社会に移行している。また、人々の欲求の対象が、モノからつながりといった社会的な価値にシフトしている。

これからモノや金の価値観から、人間関係の価値観に移り変わっていくと予想。

悪い奴はどこにでもいるから、それから守ることが第一だと思う。 まず、絶対安全な世界を作り上げてからの話だと思う。

そこで初めて、信頼し合った仲の自由な関係ができればいいなぁ。 と思う。

・信用母体:国家から個人へ。これまでお金の信用を支えてきた国家にかえて、個人が信用の母体になっている。

そういう考え方もまた今度。ブロックチェーン?ビットコイン?

・技術:空間から時間へ。現在仮想通貨で話題のブロックチェーンは、インターネットと双璧をなす新しい技術である。インターネットが空間を広げたのに対し、ブロックチェーンは時間の重要さを浮き彫りにする。

うわ~すごい!

・経済:モノからコトへ。人々の欲求の対象が、物質から文脈、憧れ、承認、つながりといった社会的な価値にシフトしてきている。

じゃあ、モノは今のうちに売っておいしいもの食べちゃった方がいいの?

・社会:タテからヨコへ。階層構造をなすタテ社会から、ネットワークの中で個人の信用が担保され、やりとりをするヨコ社会へと変化してきている。

お金の未来

時間主義経済

今後のお金のあり方は、既存の「資本主義経済」から短期の「仮想通貨の時代」を経て、「時間主義経済」、「記帳主義経済」へと移行する。そして最終的には、今世紀半ばから2100年にかけて、「信用主義経済」へと変化していく。

時間主義経済・・・・・人々の欲求がモノから社会的欲求(コト)にシフトしたときに、人々がお金ではなく時間を中心として経済活動を行うことである。社会的欲求の充足には人間関係・価値意識の醸成が求められ、それは時間によって生産・蓄積される。

現在、私これの欲求あるなぁ~。なんでもやりたいこといっぱいあって時間足りないから、時間ほしいくらい。  そもそも、やることたくさんあり過ぎる!

時間通貨のメリットの一つは、それを数字に置き換えられるということだ。これは、過渡期の通貨としてふさわしい特性といえる。また、時間はあくまで個人に帰属する。個人が「発行」できる外部化された信用こそが時間なのである。

もう一つのメリットは、時間のもつ公平性である。人の時間は個別差こそ多少あれ、大きな差異がない。よって、現在の貨幣がもたらしている富の偏在を解消する可能性をもっている。

昔、貧乏でもYouTube見てりゃいいって私は友人のユーチューバーの誘いを断った。

記帳主義経済

つづいて「記帳主義経済」は、現在のブロックチェーン技術の延長線上にある。モノを対象としながらも、それを、お金を使わないで流通させる試みである。冒頭に述べた、巨大石フェイの時代への回帰といってもよい。

モノを互いにシェアする中で、お金を使わずにあげたもの、もらったものをすべて記帳する。そして参加者全員が、取引のすべてを記帳した台帳を共有しているという状態である。そこではお金を使う必要はない。

信用主義経済、名実ともにお金が無くなる世界へ

その次にやってくる「信用主義経済」は、人々が求めるものも、それをやり取りするツールも信用であるという、不思議な世界である。

お金はこれまで人々の様々な摩擦を解消してきた。しかし、最後の摩擦はお金そのものとなる。よって、最終的には、お金そのものを駆逐するというのが著者の予測である。つまり、名実ともにお金がなくなる世界が到来する。

例えば、家族の中ではお金のやり取りはしない。それは、家族が、共同体という意識を共有した集団だからである。家族の交流はときには個体として面倒な部分もあるが、元来、心地よいものである。お金を使わない世界が心地よいということは、誰もが体験的に知っていることである。

私たちはお金とどう付き合うべきか

21世紀のビジネスは、「多様化・個別化・肯定化」へと向かっていく!

今後は、お金単体を稼ごうとするのではなく、その裏にある信用に着目することが求められる。また、既存の資本主義経済から、時間主義経済、記帳主義経済、信用主義経済など様々な形で変化する経済社会を生き抜いていく必要がある。

ここで留意したいのは、一足飛びにどれか一つの経済社会に収斂していくわけではないということである。依然として、既存の資本主義の論理は残るだろう。

これまで述べてきたような時代を生きるうえで、人々がやるべきことは、次の三点である。

一つめは、規制により資本の波を食い止めること。二つめは、資本の波に飲み込まれた人を助けること、すなわち福祉である。三つめは、新たな有機物を発見し、創り出すこと。一と二は政府、NGOなどの役割であり、個人の行動としては、三に焦点を当てることになる。

その具体的な道筋はこうだ。健康を前提とした時間資源を、ネットワーク・知識・信用の形成へと振り分ける。そして、「コト(つながり・物語)」を中心とした財を形成し、創造(貢献)へとつなげる。これは、信用を中心に構成される「21世紀の生き方の方程式」といえる。

私の場合、信用社会的に、いかにこれからゲットしていくかは、時間的有利さいかに活用していくか、また、よりトライしてしていけるか?
また、案外、お金じゃないじゃないかという気がしてきた。

人間関係なんか最初にブログ、勉強したが、信頼社会、これからは、交換なんかにおいて生じるはずの人間同士のつながりと、より希薄になっていくイメージがあるので、逆により人間同士のコミュニケーションなんかは大事になってくる気がする。

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