公私の折り合い


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ネットで、SNS、ツイッターやフェイスブック、ブログなど、私も情報を出すのだが、そんな活動をするので、触れ合う情報も多くなった。

 

公と私の区別はつけないといけないといいつつ、、、SNSってみんなが集まるから社会みたいなのかなぁ? じゃあ、公?

 

Facebookなんかは個人特定だよね。 だから、Facebookの情報は個人の意見や情報が多いんじゃないか?

 

他の、Twitterなんかは、個人名、出したりしている人もいるけど、出してない人の方が多いから、個人情報なのはあまりないかな?

 

Twitter、個人名出してる人もいればいない人もいる。個人名出してる人は自己責任か。 なので、個人名出して嫌な思いしたって自己責任でと予想する。

 

Twitterについてそう考えてみると、もう自分が指定しなければ、個人が特定されない、フリーで何を言ってもいい世界なのかな?

 

たまに、ツイートが伏せてあるところがあるけどなんでだろう? プライバシーの問題かな? なんか知らないいろいろあるのだろうけれど。 守ることあるね。

 

じゃあ、なにを言っても個人特定されない、フリーなら、ヤバいこと言ったら、伏せられるだけなら、そんなプレッシャーにならずにTwitter書き込めるって言う。

 

しかし、Twitterにした自分のツイート、人を不快にする可能性も無きにしも非ず。 やっぱ、Twitterのタイムラインは公だ。

 

 

私、SNS、なんでも手軽に情報出せるから、むちゃくちゃなこと言ってることあって、もう、公も私もわからなくなってきたって感じです。

 

他の人の情報を見ても、公でそんなこと言っていいの?って言うのが結構あって、影響もうけるし。

 

いくらフリーだって言っても、公なので、そこら辺は考えなきゃいけないと。    そこらへん意識薄いから私。

 

でも、こうやって、ブログで思ったことを綴っていくことはめっちゃ楽しい。

 

 

 

次にFacebook。     個人から出た情報。

 

公のFacebookに個人から出た情報が並んでいく。

 

Facebook(公)に私、(個人から出た情報)が並んでいく。

 

そこで思った。 公、私の区別、個人の疑問レベルそこにどう折り合いをつけるのだろう?

 

例えて考えてみる。

 

ただ思ったのは、学校の先生が教壇で、子供から私のレベルの疑問を受けたらどうするんだろうな?と。

 

教壇は公だし、子供からの疑問は私だし、で、教壇に立つ先生の回答レベルが公では回答できない、私レベルまで行ってしまったらどうするんだろうなと。

 

簡単な話、後ほど、先生とその子供の一対一で話し合えばいいだけじゃないか。

 

じゃあ、Facebookはそう言うことができるのか?

 

まず、誰が先生で、誰が生徒か。   一般のそのFacebookを見ている人が先生かな?  で、生徒は書き込んだ人だ。

 

Facebookはどうなの?友達になればいいみたい。         Twitterもダイレクトメールがあるなぁ。

 

ということは、SNSも公から私の話まで持って行けるってことね。

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