煩悩について考えてみて、私、ムカつくことも多いので考察してみた。
煩悩の一つ、うらみ。人工的な苦しみ、うらみという。 要はムカついたり、腹が立ったりするのだ。
こう言う言葉を知った。
この世では うらみがうらみによって 鎮まるということは 絶対にありえない うらみは、うらみを 捨てる事によって鎮まる これは永遠の真理である。
なるほどなぁと思った。早くこの言葉を知っておけばよかったと思った。
私、うらみあったら、相手を力や論理でねじ伏せようと考えちゃう。
ちょっと、最近、討論とか言って、論理ぶつけ合ってねじ伏せ合うのとかあったけど、それに影響されて、私生活でも愛を用いずに、論理で手も足も出なくすることは間違いなんだなぁと気づかされた。
そんなことしてるから、ねじ伏せられた方はうらみが増幅され、大きくなるよくない、悲しい結果になる。
「うらみ」などの煩悩を起こさない状況に自分の環境を整えていかなくちゃね。
私がうらみを加害的にやってることはないだろうなぁ~と思ったら、よく考えたらあるものだ。
うらみ=煩悩 なので、安楽は遠いぞ。
煩悩の大きいものに、無明と言うものがあるらしい。
無明とは、、、本来はまったく何でもない状態であるのに自分が勝手に捻じ曲げて考えて、そこから心の色んな葛藤を生み出してそれが苦しみにつながっていく。まさに自分自身が作っている人工的な不幸。
この世のありさまを正しく見ることができない 愚かさ
うわっ!心当たりめっちゃあるわ~! 勝手にいろんなことを考えさせたら日本一の私。 典型的無明やない?
スーパーで煽ってくる人とか、人間関係、 ネットの世の中、情報化社会。
私の中でうらみが連鎖してるイメージ。
生き物として生まれた人間は、煩悩を持ってる。無明もある。本質的に我々は愚かな考えをする。
しかし、私たちに無明があると自覚できたときに、その愚かさから脱出できる。しかし、自覚できない時に自分を賢者だと思う。そう言うものこそ愚かだと言われる。
愚かさに気が付くことが大事という。
まぁ、私、謙遜はするけど、愚かさに気づいたというより子供のころからの癖ですね。
私もニコ生麻雀配信なんか一人で続けられるので、ちょっとは苦行とは言えるかもしれませんが、ブッダは、苦行は意味はないと言います。
忍耐力は付くが、煩悩は消えないそうです。 煩悩は心を修行しないとダメだそうです。
私は、麻雀、マスターしたことが成立することが精神安定につながるのもありましたが、やっぱり達成がおもしろい。 変化、レベルアップでまたやりたいです。
私もまだまだですが、煩悩まみれで苦しいばっかりですが修行のために、自分の生き甲斐、生きる道を探していくのもいいですね。