感情的なもの


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ネガティブな感情、「怒り」「競争心」「不安」「我慢」「焦り」――など。

こんな感情はどうにかして抑えつけなければならないと思ってもうまくいかず、ずっとそのことを考えてしまったり、人にあたったりしてしまう。

私なんかは、いろんな場面、悪いケースが出てきても、うまくいくように頑張って感情を抑え込み、その場に自分を適応させようと努力して無理し、疲れてしまう。

しかし、感情をコントロールする必要はないという。

「感情を抑える」という言い方が一般的であるように、感情は「コントロールすべきもの」という思い込みが付くが、感情はポジティブでもネガティブでも自分を知るための情報で感情には、理由と目的がある。

感情が起こる根本的な原因にアプローチすることによって、ネガティブな感情自体を減らし、自分がポジティブに過ごすことができるための土台づくりをしていくという考え。

「自分中心」の生き方で感情を味方につける

怒りが生まれるのは、「他者」を中心とした視点で判断し行動する「他者中心」の考え方をしているからだ。他者に認められたいと願い、必死に行動しても、その欲求が満たされなければ、不満足感が鬱積していく。そんなネガティブな意識がネガティブな感情を生成していき、ついには他者にぶつけないではいられないほど増幅していく。これが「怒り」の正体だ。

自分を中心とした視点で判断し行動しようとする「自分中心」の生き方。

 私は、このブログを書いてきたが、、言いたいことも思いっきり書けたらたらいいという考え、なかなか人は言わせてくれない、、あの人も、私に最後の最後まで言わせてくれない自分勝手なことを、それがブログじゃ言っちゃえる。そんな、自分勝手にインターネットに出せるってスリリングで気持ちいい。
見られてないならないで、承認欲求すてたらとか言い出してて。

我慢を感じたら、本当の気持ちを考える。

日本社会は、我慢の文化で、私たちは家でも学校でも、あらゆる場面で「我慢する」ことを当たり前に強いられてきた。しかし、我慢する癖がつくと、言葉で伝えることを恥じたり恐れたりして、とまどうようになってしまう。

自分の気持ちや欲求を叶えて心を満たそうとするより、自分の心を無視して黙って従おうということになる。このようなネガティブな他者中心の意識が蓄積すると、一気にぶちまけたい衝動に駆られていくだろう。我慢を続けるというのは、自分を傷つけている状態でもあるという。

我慢は「自分の思いや心に沿っていない」という情報としてとらえることができる。自分が我慢していることに気づいたら、本当はどうしたいのかと自分自身に問いかけてみよう。自分の気持ちや欲求に耳を傾けるだけでも、自分を愛したことになる。

 私は、、、本音、いつもこのブログを書き続けていくのは、キツクなってきた。 我慢してるのか、気分転換も必要だと思う。 ストレス解消は必要だ。

 まぁ、今まで私は受験勉強からの長くの経緯なんかあるので我慢なんかは強いと思うが。    で、こういう時よかったのかなぁ? 

 ブログはやめないな。せっかく書いてるんだし。

 ちょっとブログの間隔を開けようっと。

 過去に評価されない場面で耐えて耐えて勝ち過ぎちゃって、虚しかったこともある。  だから、もじぴったんで負けて、コネクトフォーで勝ちを守ってるのはいい形だ。

 実は昨日、当人にコネクトフォー、私だって確認はした。   経験の差も考慮しなきゃいけないので、その上で。

 本当は理想は、妻と家庭ゲーム、妻と一緒にゲームをするのがいいのだが、妻は妻の友人と話し合うくらい、ゲームの良さわからない。

 最近できた友人とはゲームはし合う仲にはなったが、いかんせん、時計くれたりするやさしい彼には圧勝、やっぱ負かされて嫌味を言ってくる、憎たらしい相手に勝たなきゃおもしろくないし、でも、こわいし。

 
競争心は「他者にとらわれている」というメッセージ

強すぎる競争心は、ネガティブな感情を生みやすい。

競争心が強くなるほど、相手や周囲が気になり、その気持ちはエスカレートしていく。自分が優っている状態であれば優越感を覚え、上から目線で見たり、一方、相手のほうが優れていると認識した瞬間、「負けた」という気持ちは劣等感へとつながっていく。

私の中では嫉妬心は作らないようにはしている。    嫉妬心持ってる人はむちゃくちゃ言ってきて、論理を越えてきた経験がある。  ただ、自分は守るが。

相手と自分を比較していると、相手の言動が気になり、ネガティブな気持ちが増していく。ネガティブな気持ちが「我慢」を呼び、積もれば「怒り」へと変化し、誰かにぶつけてしまえば争いが「恐怖」を呼ぶという悪循環へ陥っていく。

人のことよりも自分に関心を抱くようにすれば、自分の感情に気がつくはず。そうして自分のその時々の感情に気づくと、自然と全体の状況も把握できるようになってきて、具体的な解決策の見通しがつくので、これだけでも感情的になる分量は減るだろう。

漠然とした不安に駆られたら、”いま”に向き合おう

ネガティブな意識だと、未来を予測するときも「失敗したらどうしよう」とネガティブな出来事が起こることを想像しがちだ。

ネガティブな意識が強いと、ポジティブな反応が返ってくることを信じられないものだが、本当は失敗する可能性も成功する可能性もあるものだ。そもそもどんな場合であっても100%の失敗ということは、まずあり得ない。

どんな結果になったとしても、その中には、必ずうまくいったことがあるし、以前より成長したところがあるはずだ。ネガティブな意識が強いと、それが見えなくなってしまうというだけなのだ。

「ゆっくりと実感」すれば、「焦り」が消えていく

焦るのは、「いまを感じない」で、「一歩先」に焦点が当たっているせいだ。たとえば、仕事中は次の休日にやりたいこと、休日には明日の仕事のことを考えている、といった具合に、いま実際にやっていることと頭の中で考えていることとが、ボタンのかけ違えのようにずれている場合が多いのだ。

麻雀をするが、守り、先手先手で、やらかしたときの用意をしておかないと放銃されてしまう。あえて先を見ないほうがいいとき読まないほうがいいときもある。↓

大切なのは、自分の感情をゆっくりと実感することだ。ゆっくりとポジティブな実感を味わいながら生きている人は、人生が順調に発展していく。焦っている人にとって、ゆっくり時間をかけるのは遠回りをしているように感じることだろう。しかし、いま自分が取り組んでいる目の前のことをゆっくりとていねいに実感することが、着実に目標達成できる最短コースなのだ。

感情を味方につけるとすべてがうまくいく

自分の感じ方を大事にし、自分を愛してあげよう

人の思考パターンを「デジタル思考」と「アナログ思考」の2種類に分けて考えている。

物事を損得で判断するデジタル思考は典型的な他者中心の考え方だ。  

デジタル思考が平面である一方、アナログ思考は立体的だ。自分の欲求や感情、五感などの自分が感じる感覚すべては自分の無意識からのメッセージととらえられる。そんな自分の“実感”を信じて、立体的、総合的に判断するのがアナログ思考だ。

私は完全に物事を損得で考えたり判断したりするデジタル思考だ。 そんなアナログ思考という世界があるなら一度覗いてみたいと思った。

コロナなど、社会全体が心にネガティブな感情を抱え、誰かを攻撃せずにいられなくなっている。こんな社会環境になるほど、心のよりどころになるのは自分自身だ。自分中心になって自分の心を基準にすることは、自分を守ることになる。

社会全体、ネガティブな感情、そもそもあってはいけないと思う。社会は明るいものだと思う。

あらゆる感覚を総動員して感じ味わいながら、いまを生き、その時々の自分の心に沿った選択をしていれば、充実感や幸福感といったポジティブな感情で心が満たされていくという。

そんなふうに心と行動が一致しているときは、自分を愛している状態だということができるだろう。
自分が感じる感情は、ポジティブな感情もネガティブな感情もすべて「自分を愛するために」という無意識からのメッセージだ。日々の小さな歓びを味方にすれば、幸せも成功も向こうから飛び込んでくる。

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