昔から対戦ゲームと言うのはあり、私も昔からめちゃくちゃハマってた。
ファミコン、対戦ゲームと言うのがあって、手軽に勝負できることが、、、、簡単に手っ取り早く、子供と子供が対決、緊迫して、熱中したものだ。
私もハマったが、ず~っと学生時代は対戦ゲームばっかだったなぁ。
で、プロ野球って対戦スポーツ、対戦のトップで昔から人気絶頂で、おもしろいし、私も大好き。 ゲーム自体がおもしろいし、数字も出るし、一人一人に脚光が浴びるのが私はそっちの方が好きだった。
私も、中学校の頃とかピッチャーなんかやってて、学年の前で投げてたりしたり、すごい思い出のホームランを打ったり、当時、いいことしかなかった野球。
ファミスタというゲームも強くて、対戦の目標はただ勝つのではなく、コールド勝ちの10点差以上をつける勝ち方だった。
まぁ、私は試合としては、昔の巨人と広島の大野vs槇原の投げ合いの方がめっちゃ好きでそれが思い出に残ってるのだが、、、
高校に行って、なんか話は、プロ野球から、Jリーグが発足し、プロ野球人気が衰えると言われて危ぶまれ、当時のいい気になってた私は友人からつつかれ、いちいち嫌な気分だった。
それでも、友人家にたむろして、対戦ゲームばかりの日々を送る。
当時、ネットゲームなんかないから。 今のネットゲームできる子がうらやましい。 全精力をそっちに持って行けるから。 上には上がいるんだろう。それはそれでいいんじゃない。
私はマリオカートで、色んなコースの日本全国、凄い人のベストタイムを目標に走るぐらいしかできなかった。
それでも、ベストタイムは超えられなかったなぁ~。やっぱ。
そこら辺の友人の枠内では私は勝つので、敵はいなかった。
だから、枠内の中では、このゲームは負けるゲームというのはないことはないが、ほとんどが勝つゲームだった。
しかし、対戦ゲームも勝つばかりじゃ飽きてくる。
たまにしか負けない。 ボコボコにやっつけるから、負けた時、むちゃくちゃ言われたが。
で、なんで勝つんだろう? まで、当然考えるようになって、、それに対峙して苦しみ、ずっとそれは続けて長い間続けたよ。
もう、その苦しみはないかな。
1990年代、勝利の意味。
昔から対戦ゲームとかあるわけだし、なんで対戦するのって言う、理由なくて対戦してて、対戦するの苦しいから、勝利の意味のからっぽの状態で、勝利の意味を求める時代が民衆に確かにあり、プロ野球なんか、それをつかむのがセールスのポイントじゃないかとも思えてしまうのは私は、大昔から考えてたことだ。
私も、からっぽな対戦をしながらここまで来た。
だから、反射的に無意味、マンネリを恐れる。
勝てばいいわけではないのだ! ありきたりかな?
だから、うまくいったら、逆をやる。
今の日本はそんなうまくいかなくったって生きていけると言い訳をしときたい。
だから、体が勝手に反対方向に動いちゃうので、私は長続きできる。飽きない。
後は、私を見る社会も私を理解してくれればいいと思う。
結局結果なので、いい方向へ動いてて、反対へ動く反応。 結果を出しそうになると反対へ動く反応は社会は受け入れられないか?
社会と個人を別けて、個人がめっちゃ楽しければ社会が反応するパターンなんかな? 社会と個人の関係のことよく知らない。
まぁ個人が楽しむために、私もだいぶ努力はしましたよ。思想的に。 苦しみ抜いたので、そこら辺は自信ありますが、後は物理的な面が恐いです。
しかし、まず、いい方向へ最初動くので、ある種のきっかけというか、イベントは作ってるが、得られるものは得てないというやつかな?
ホリエモンが言ってたけど、みんなが私みたいになれないらしい。 だから、私の特権を活かさないともったいないよね。
この頃まわりは性悪説になってきている私は、そこで人がストッパーをかけてきたら、私は腹が立ってジエンドだったが、そこで粘って進んでいくのが新しいテーマとして、まだ次へみたいな。 そんな理念ないと止まっちゃうね。
まぁ結果を出す意思があるかという話も文章書いてて思った。 私の心の性質でナチュラルに社会に招待されないのもあるかなぁと思った。 学歴、服装、社会実績、私の社会へのわけわからないこわさ、、、、これらがつっかえになって、招待もされないから。 だから、SNSいいよね。
お前なに言ってるんだよと言われても後で現実化して後で言っても仕方ないから今言っとこうっと。 言うだけならタダだし。