生命科学勉強したが、どこまで許されるかという倫理の問題
100年前の優生学の歴史をまた現代は踏むのか?という話。
100年前よりたくさんのツールを持って、また人類はトラブルの繰り返しを踏んでいるのか?
求められてるのは、、、透明性
自由に発言できる発言できる雰囲気、権利
ある方向に話が流れていっていると、それに対しておかしいと思っても、ストップする声が出ない、みんな迎合していって、流れが最初は弱くても、ものすごい流れになっていて、誰にも止められない、これおかしいところに行ってるよねぇと言ってももはや止められない。早い上流でできるだけいろんな意見を言える、、、、
また研究だが隠さない、大きな流れになると、慌てたって後の祭りってことにもなりかねないという。
私がiPS細胞とか、染色体とかいろいろ言う話ではないが、何でもかんでも迎合していくのは恐いと言うことだ。
わかりやすさも必要だと思う。
私、ニュースで言ってたけど、iPS細胞がどうのって知ったことじゃなかったもん。
よく考えよう。
そう言えば、SNS、私、透明性は私、結構あっけらかんとしてる方だけど、個人特定しにくいからなぁ。
見てて、みなさん、発言はされてるんですが、本当に、ある方向に流れていって止めるの難しいですね。雰囲気がおかしい方向に流れてっても気持ちよければいいんです。じゃ、おかしいと思います。
何が本当の価値か?という哲学的な問題になりますが。
正論で修正する人も必要だと思いますねぇ。
まぁその条件で、言いたいこと言って、場を荒らして楽しんでるところはあります。