オーストリア・ウィーン生まれ、20世紀を代表する自由主義の思想家、経済学者 フリードリヒ・ハイエク
「隷従への道」などを書いたらしいが、めちゃくちゃ難しいと予想される。
そもそも、主義についていろいろあるが、それぞれたくさんありそうで、どんなのがあるかわからない。一度、体系立てるものかわからないが、並べて書いてみるのもおもしろいね。
で、、、ハイエクは自由主義者。 金銭的、物質的な生産性しか気にしないのと違って、自由が大事。(GDPを気にしない。)、それが自由主義の中でも新自由主義と言う。
ハイエクは超合理主義を批判している。 それは私の考え、理想と一致しない。相反する。 言わせてもらえば、私は合理的、効率的はカッコいいと思う。 工学部出身だし。
私の間違いなの? ハイエクは、合理性の限界を知るべきという。
私の考え、「いかに楽して多くを得るか。」効率主義。 言ったら嫌われるけど・・・・・・私は私。それまで努力したということで許してね♪
例えば、パソコンキーボードのショートカットとか、、、、大昔、大学入試の問題、積分計算、みんなが一生懸命方程式解いてるのを、一発で解ける公式暗記して、数値代入して一発で解くとか、、、、当時、プログラマーのしごと、短い要領のよい、効率的なプログラム作るとか、そんな方針。
カーレースだって、いかにコース一周を短いタイムで走るかの効率的運転化で、AIに人間はかなわないだろう。 なんでもルーティーン化しちゃうみたいな。
その効率性、合理性をハイエクは否定するのだ。 私は今まで、効率性、合理性を念頭に生きてきたが、それを否定するの~?
なんか読んでたら、合理性と理性がわけわかんなくなってきた。。。
理性主義は、確たる知識、判断の源泉として、人間全般に先天的に備わっている機能・能力であると信じる、、、古代ギリシア哲学以来の西洋哲学に顕著にみられる特徴的な態度のこと。日本では、合理主義と訳されるという。 これが理性的?と合理的?のヒント? 生まれついてすべてできたら合理主義なのね。
理性を、、「先天的能力一般」 と解釈でいいかな?
(AIは置いといて)自由主義のハイエクは批判するに、、、、生まれついてのスゴイ奴できる奴とは合理主義者が想定するように特定の個人に宿るものではない。すごい奴とは、人と人との関わり合いの過程から生まれると。
たとえば、ゲームも一人で素晴らしいうまい奴が生まれるわけじゃなく、対戦で関わり合いながらすごい奴が生まれるってことかな?
ハイエクは、「他人の能力や行動を裁く資格など誰にもない。」と言う。 それは、生まれもってと言う考え方ではなく、人と関わり合って経験的に得ていくという考え方からだろうか?
最後、いろいろコロナで政府の方も大変だろうなぁと思ってしまいます。
安倍総理について、、、安倍総理はしゃべるとき、しどろもどろになるときがあるが、一般がしゃべるのとは違うということだ。
一言一言がすべてに関わってくるので、検証しながらしゃべらなければいけないので、スムーズにしゃべることができない。
それは、状況が変わるので、その時その時でベストの対応しなければいけないので。
要するに、判断が深いのだ。トータル風にも考えてるので、一般の人は、浅く、発言されても、深いところまでいちいち検証して、責任もって答えなければいけない、このハンディーを抱えてるので、それに、その場その場の状況の変化に対応したベストを生み出す反応をしなければならない。
大変だなぁと。